2024/01/06 14:29
金剛石も磨かずば 珠の光は添わざらん
ひとも学びて後にこそまことの徳はあらわるれ
これは明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御歌に曲をつけた唱歌『金剛石』の冒頭部分であります。
金剛石(ダイアモンド)も原石を磨かなけれは、宝石としての輝きは出てこない、人間も日々の研鑽、地まない学習や努力が重要であることを説いたものです。
日本の国石翡翠はどうか。緑色や薄紫色をした,半透明の艶かしい光沢の翡翠の玉は間違いなく美しい。昭和初期、伊藤栄蔵によって見出され、河野義礼により科学的に検証されて世に紹介されて以来、糸魚川の翡翠の多くは打ち砕かれ、切り刻まれ、削られ磨かれてきた。金開石と同様に,翡翠は磨かれることによって自然にはない輝きや艶を得て人々を魅了した。しかし、翡翠原石にあった自然な美しさが、加工によって失われたことに気づいた人は少なかった。
糸魚川には、自然のままでも十分に美しい 翡翠原石があり、むしろ、人の手が入ってしまうとかえって美しさが損なわれることすらある。
姫川や青海川の清冽な水流に洗われ、日本海の厳しい波浪で幾年にもわたって鍛えられた翡翠は、そのままでも十分に美しい。
永年にわたる大地の営みが作り上げた機造や造形は見る者を飽きさせない。
翡翠原石の結晶は、五億年を経ているとは信じ難いほど煌めく。このような翡翠原石は、人が入り込む余地のない完結した自然の芸術品である。
実はこのような自然のままで美しい翡翠原石は、世界的に見ても、日本翡翠、固有の特徴である。世界最大の翡翠産地として知られるミャンマーの翡翠の多くは、褐色の分厚い風化殻を持ち、美しい肌を持った原石ではないのである。
「金剛石も磨かずば」とは逆になるが、日本の翡翠については磨かない方が美しいもの、切ったり磨くことによって価値が低落してしまったものが確かにある。
国石翡翠の店で、紹介する翡翠は、全て国産の翡翠であり、その多くは自然のままの姿のものである。写真のみで、翡翠の持つ美しさを伝えるのは実に難しいが、少しでも、手付かずの翡翠原石の美について、知っていただければ幸いである。古くから日本中で大切にされてきた、翡翠の魅力をより感じていただければ望外の喜びである。